借金総額5000万円の生き地獄

 

5000万円の借金を背負ったことがあるという方は、
一体世の中にどれくらいいるのだろうと思います。
今でこそ無事に返しきることができましたが、
当時は本当に地獄でした(涙)。

 

どうやって返したのかという話をする前に、
まずはなんでそんなことになったのかという、
経緯をお話してまいります。

 

 

2008年の10月、
約3年ほど勤めた会社を辞めて独立をしました。
当時の私神田は26歳。

 

「起業したいという若者を見つけて育てていきたい」

 

という日本橋に事務所を構える粋な社長さんと偶然知り合うことができ、
運よくその社長Hさんの後押しを受けて会社を退職しました。

 

サラリーマン時代は製薬メーカーの技術者で、
地方の工場と本社を行ったり来たり。

営業なんてしたこともなかったので、
およそ起業に必要なスキルなど一つも持ち合わせていませんでした。

 

 

それでも、ものすごいお金持ちな社長さんで、
わざわざ住む家を借りてくれて、しかも事務所を使わせてくれて、
さらに補助までくれまして、順調な滑り出しをすることができました。

 

借りてもらった家は2LDK、しかも家賃14万円の部屋で、
こんないい人が世の中にいることに驚きつつも、
その分こそ一生懸命仕事を盛り上げていこうと思ったものです。

 

 

そんなこんなで一番はじめに取り組んだ仕事は
「エコ」ビジネスでした。

 

 

当時若かりし神田は、何か社会に役立つことを事業でしたい、
自分の生きる道は環境に良いビジネスを立ち上げることだ!
等と息巻いておりました。

 

まずは、その方が東南アジア諸国に
植林をするという仕事をしておりまして、
そちらを手伝うことになりました。

 

東南アジア各国を飛び回り、
エコ活動をする、何とも刺激的で、
楽しいお仕事でした♪

 

とはいえ、やっていて割とすぐに気づいたのですが、
「これって何で儲けるの???」

 

結局これは長期的な商売で、
木になる農作物を販売するという収益にくわえ、
2酸化炭素排出権を取得することで、
それを売却した収益を狙うというものでした。

 

何とも壮大すぎて当時感動したのを覚えておりますが、
世間を知らない神田青年は怖いものを知らないもので、
どっぷりを足を踏み入れてしまったのでした、、、。

 

 

いろいろと支援をしていただいていたとはいえ、
会社は独立採算制ですので、
全く儲かりもしないのに経費だけがかかり、
お金は出る一方。

 

サラリーマン時代に貯めたお金などすぐに底をついてしまい、
足りないお金は借り入れるしかありませんでした。

 

しかし銀行なんて実績のない訳の分からない会社には
お金は一銭だって貸してくれません。

 

だったらどうにかしなくちゃいけない、と考え
そこで、新規事業への投資を募るということをしました。

 

 

目次

「この事業は将来性があるから投資をしてください!」

 

今思えば怖いもの知らずで、
なんとも思えないパワーがありました。

 

その社長さんの人脈をたどることで
リーマンショックの真っただ中の世の中にもかかわらず
5000万円ものお金が集まってしまったのです、、、。

 

そう、かの恐ろしいリーマンショック時代、
会社を辞める時に、先輩や上司、同僚達に、
「リーマンショック真っただ中で会社を辞めるなんてあいつは馬鹿だ」
といわれていました。

 

 

当時世間知らずの自分は、
「はぁ、リーマンショックなんて関係ないですよ!
だって、自分の生活何にも変わってないですからね(笑)。」
等と笑い飛ばしていたものです。

 

実際に製薬業界は安定していたので、
全く影響を感じたことがなかったのです。
しかし、そのリーマンショックのあおりを受けて、
自分の後ろ盾をしてくださっていた社長さんの会社が、
倒産してしまったのです、、、。

 

 

Hさんに呼び出され、

「実はさ、会社が結構やばいんだよね。
ちょっと借りてあげていた部屋も出てもらう必要があるし、
事務所ももう使わせてあげられないんだ。
本当にごめんな。」

といわれました。

 

 

「ま、まじかよ、、、」

 

 

とつぶやくと同時に、
血の気が引きました、、、。

 

正直どうなるのかなんて、
考えられなかった上に、
考えて分かるほど賢くありませんでした。
しかし、その結果自分がどうなるのかということは、
すぐに目の当たりになったのです。

 

 

「投資していたお金は返してもらうからね」

 

周りに取り囲んでいた投資家さんたちから、
次々に電話が鳴り、電話に出れば皆口をそろえたように、
「お金を返せ」という話ばかりでした。

 

後ろ盾であった社長さんがいなくなれば、
投資をしていたお金は引き上げる、
Hさんに投資をしていたようなものであったので、
当然そう考えるのがマトモな人間といえるのでしょう。

 

投資金として受けたはずの5000万円は
返さなくてはいけない借金となってしまったのです。

 

当時知識も何もなかったので、
投資金として預かっていたお金は、
失敗したら返さなくてもよい性質のお金なのだと思っていたのですが、
返金の義務が入っている契約書となっていたのでした。

 

独立をしてわずか1年半後の出来事、
借金5000万円が確定した瞬間でした。
(実際は契約した時点で確定していたのですが、
自分の気持ちとしてはこの瞬間に確定しました。)

 

 

その後に神田はこうなりました

「うちの旦那は夢遊病」へ

 


 

 
 
 

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