サラリーマンが「会社に頼らず自身で生きていくことができる術」を持つべき理由

 

先日は神田の愛娘が毎週通っている、

ベビースイミングなるものに行ってきました。

 

このベビースイミングとはどんなものかというと、

齢1~2歳の子供たちに水着を着せて、

浮具を付けて水に浮かべてみたり、

時おり上に放り投げてキャッチしたり、

時おり水の中に沈めて下の輪っかを取らせたり、

そして時おりにプールサイドに立たせて飛び込みをさせたり、、、

 

赤ちゃんがアクティブな活動をする場なのです。

(なんか文章だけみるとひどいことをしているようですが、赤ちゃんたちはしかと楽しんでいるのでご安心をw)

 

しかし、神田は自由人気質のせいなのか

毎週行ってはいないのですが、

行くたびに娘ちゃんの成長が目にとまります。

 

今まで何も言わず飛び込んでいたのに、

飛び込む前に掛け声をかけるようになったり、

水中に頭まで沈むのを怖がっていたのが、

自分から潜ると言ってみたり、

突然ひっくり返って背泳ぎをすると行ってみたり

(本人は泳げないので、浮かべてくれと言っていますが、、、)

毎回の変化との出会いがなかなか刺激的な瞬間なのです。

 

そんな瞬間に出会うと、

この子のためにもっとたくさんの刺激を与えてあげないと!

等と思い、親ばか全開でついつい元気よく活動しすぎて、

周りのお母様お父様方に笑われてしまったり

時にひかれてしまうのですが、、、(汗)。

 

しかしながら、そんな日々の変化を目の当たりにすると、

大人の日常とは何たる変化の少ないことか!?

と驚いてしまいます。

 

毎日刺激的に生きているつもりの神田でも、

今まで発音が全くできなかった単語をきれいに発音してみたり、

ちょきができなかったのに、ある日突然ちょきができていたりと、

(当然にチョキはできますが、、、)

そのような大きな変化はありませんので、、、。

 

また、そんなことを考えると、

特にサラリーマン時代はもっとも変化が少なかった時代だなぁ、、、

だなんて思いだされてきます。

 

大学在学中に会社説明会を聞いた時

「これはなんともおもろい会社だ!!」

そう確信して入社したはずなのに、、、

いざ入社してみると、、、

 

フォーマットの決まった書類をひたすら作ったり、

なんの打ち合わせか分からなくなるような「打ち合わせ」に参加してみたり、

カタログを見て必要なものをひたすら発注してみたり、

取引先の電話を受けてみたり、かけてみたり、、、。

 

もちろん、全く変化がないかというと

そういうわけではありませんでしたが、

あまりにも微々たる変化であったため、

こんなところにいて自分は本当に大丈夫なのだろうか、、、

何の経験もできていないのではないか、、、

等と不安に掻き立てられていたのを覚えています。

 

 

そんなときに、某イギリスの探検家ラポックさん明言を目にしました。

 

 

「他人と比較して、他人が自分より優れていたとしても、

 それは恥ではない。

 しかし、去年の自分より今年の自分が優れていないのは立派な恥だ」

 

「うわぁ、めっちゃグッとくる言葉だなぁ。

 他人が自分より優れてるのはしょうがないけどさ、

 去年の自分が今年の自分より優れてたらおかしいもんな。

 で、でもさぁ、自分なんて去年となんか変わったのかよ、、、

 あぁ、給料がちょっとだけ上がったな♪

 他は、、、

 なんも変わらないなぁ、、、

 

等と、落ち込んでしまいました、、、。

 

 

もちろん仕事のスピード(業務処理速度)が上がっていたり、

できることの幅(作業の種類)が増えていたり、

成長がないわけじゃないのですが、

それがどこか別の場所で通用するほどのことなのかと言えば、

そんなものでもなく、

そう思えばこそ焦りを感じずにはいられませんでした。

 

しかし、そんな神田が会社に所属していた経験から感じたことは、

「会社というのは成長をする場ではなく、

 成長した自分の力を発揮する場」

なのだと思うわけです。

 

会社に所属することで成長ができる

そんな恵まれた職場環境であればそれに越した事はありませんが、

ほとんどの会社では、社員の教育にお金と時間をかけれるほど、

豊かではなく余裕もありません。

 

またコスト意識を持てばこそ、

そのようなところに目が生きにくいのが現実なのではないかと思います。

 

そしてむしろ、先輩と呼ばれる方々が、

その彼らの先輩達からしっかりとした教育をされたという経験がないため、

後輩の教育の仕方がよくわかっていないし、

教育をせずとも勝手に自分達の背中を見て育つものだ!

という意味の分からない意識を持つことにつながり、

その結果社員は教育を受けたことがない先輩の背中を見て育つ以外に

自分を磨く方法がない、という状況になってしまうのです。

 

少なくとも神田がいた会社ではそうでした、、、

 

大変に物分かりがよく、とても賢い某o先輩(大変にお世話になった先輩です)

にだけ、そのことを愚痴ったことがあるのですが、

「会社に教育を期待するなんてお前はあほか!?」

等と叱られました、、、。

 

 

そうなると、やはりぐいぐい力を発揮する人間というのは、

どこか別の場所で自分自身を磨いている人間なのか、

もしくは、そもそものベースの能力が高い人でした。

 

しかし、そうであればこそ感じることが、

そんな成長した自分の力をわざわざ会社で発揮するんじゃなくて

何か自分の外の活動で発揮した方が有効ではないか!?

等と感じるわけです。

(もちろん会社からは給料をもらっているでしょうから、会社でも発揮してあげてください 汗)

 

なので、まずは自分の「能力」や「経験」を会社で磨こうと考えるのではなく、

もちろん、会社で吸収できることは当然吸収すればよいとは思いますが、

それとは別に、会社外で磨くことを考え、様々な経験をし、知識を得て、

それらをアウトプットしていきながら、自身の磨いた能力を発揮していく。

このような事をしていくべきなのではないかと思うわけです。

 

そして、こういった活動が、

徐々に実を結び、結果を出していき、

「会社に頼らず自身で生きていくことができる術」

につながってくるわけです。

 

もちろん、自分の力を会社で発揮していくことで、

会社での存在感を示していき、

そのうえで会社からよい待遇を獲得していく、

そんな生き方も選べるわけです。

 

ですので、まずは自分の成長を意識して、

自分自身の力を磨いていって、

そして、それを会社の内外問わず発揮していくこと、

そうしていくことで、

不安のない充実した生活ができるんじゃないか、

 

少々抽象的ではありますが、

そんな風に思います。

 

まぁ、神田が勝手に主張しているだけなので、

「なんか違うんじゃねーの?」

「俺はそう思わない」

とか言う方はぜひ堂々とでもこっそりとでもよいので、

ご意見ください♪

 

神田の考えが正しいにしろ正しくないにしろ、

会社の外で自分の能力を磨く方法を持っているか否かで、

御自身の人生に大きな違いが発生するということは、

間違いありませんので。

 


 

 
 
 

コメントを残す